好きな「ドラム」で生活基盤の新たな柱を
音大でジャズドラムを学び、卒業後は音楽活動メインの生活を志し、アルバイトをしながらライブのサポートなどをしていました。並行して、音楽教室などは介さずに、大学生から50代くらいまでの方を対象にドラムの個人レッスンも行っていました。
大学卒業から2~3年が経ったタイミングで、ライブ活動以外にも、生計を立てるうえで安定的に柱となりうる活動が必要と判断し、音楽教室への所属を考えるように。当時は実家暮らしで、親には30歳までにミュージシャンとして生活基盤を固められるようにすると宣言していましたし、自分自身の覚悟としても、そろそろもっとしっかり動かなければ、という気持ちがありました。
もともと演奏家志望ではありましたが、個人レッスンの経験があった分、人に教えることへの抵抗感はありませんでしたし、何より自分の好きなことを仕事にしたいという思いが強かったので、ドラム講師の道を選びました。
音楽仲間やインターネットでの情報収集で興味
実は、講師になるべく音楽教室の検討を始めた時点では、島村楽器のことをよくは知りませんでした。幼稚園の頃に、島村楽器の先生にエレクトーンを習っていたのですが、それを思い出したのはずいぶん後になってからです(笑)。
一番初めは、別の大手音楽教室を検討していましたが、そこで講師として活動している音楽仲間から、ドラム講師の空きはほとんどないという話を聞き方針転換。別の音楽仲間からの情報や、インターネットで色々調べていくなかで、島村楽器に興味を持ちました。比較検討するうえで、会社としての理念や基盤がしっかりしている点が好印象でしたね。
採用が決まってからは、音楽活動が入りやすい「土・日以外」という希望を汲んでいただき、まずは水曜日、その数ヵ月後には火曜日に開講できる店舗を打診していただきました。
3年目のターニングポイントを経て
自分のスタイルを確立
思えば、レッスンを始めて3年目くらいまでは、試行錯誤の日々でした。グループレッスンの場合、飲み込みのスピードが異なる会員様を同じ60分の中で見ていく難しさがありますし、何より自分自身のスタンスとして、会員様の「上達」への思い入れが強すぎて、要求が高くなりすぎるというか、つい厳しくなりすぎる節があったのだと思います。レッスンを楽しんでいただくこととのバランスがうまく取れるようになったころから、入会率も急上昇して、会員様の人数も大幅に増えました。それまではアルバイトも続けていたのですが、27歳のときには、講師の仕事と音楽活動の2本で生計を立てられるめどがたち、目標としていた30歳手前でアルバイトには終止符を打つことができました。その後、共働きだった妻の妊娠を機に、レッスンを週2日から3日に増やして現在に至ります。
レッスンで一番大切にしているのは、会員様が「一人でも演奏できる」ようになるための指導です。譜面に書いてある通りに叩くことはできても、いざ自由に演奏する場面になると途方に暮れてしまう方が少なくありません。自分で考えて、選択して、自由に演奏ができる。そんな力を付けてほしいので、「考える」要素を織り交ぜるようにしています。
そして何と言っても、年に1度の発表会はものすごく感動します。ライブハウスを貸し切り、会員様自身が選んだ曲を他のパートの講師陣と一緒に演奏する晴れのステージです。講師が、会員様の習熟度に合わせてオリジナルの譜面を起こすため、準備はそれなりに大変ですが、まるで甲子園球場のような熱いエネルギーのやりとりがあります。
また、5年目くらいのタイミングでチーフ講師になりました。チーフは、講師会議のテーマを考えたり、他地区の講師との交流の場にも赴きます。最近では、およそ10年ぶりとなる島村楽器オリジナルのドラムテキストの改訂にも携わりました。レッスンルーム以外の場面でも、自分の経験値を引き上げるチャンスに恵まれていると感じます。
音楽活動で日々前進中
レッスンがない日は、ライブやコンサートのステージに立ったり、リハーサルに参加したりと、音楽活動で何かしら動いています。最近では、帝国劇場で上演されるミュージカルの現場にも参加させてもらっています。俳優陣の演技や照明、衣装など、総合芸術ならではのパワーに新たな刺激を受けています。今後の目標は自分のバンドを結成すること。ピアノ・ベース・ドラムというオーソドックスな編成とは一味違ったジャズバンドでプレイできたらと考えています。
多くの講師が集う講師会議が、情報交換や学びの機会になっています。指導者としても、また演奏者としても、より成長していくための気付きを得やすい環境であると思います。また、教室運営に関するアイデアや目標を持ち、積極的に取り組もうとする姿勢を、会社がきちんと見ていて、一緒に取り組んでいけるところも魅力です。