創業者・島村元紹(しまむらもとつぐ、1933年~2020年)は、東京都江戸川区平井に生まれました。地元で文具店を営んでいた父を16歳のときに亡くし、後に早稲田大学政経学部に進学したものの、中退して家業を継ぐことになりました。地域に密着して学校指定の商品を扱う仕事ではありましたが、事業としての文具店の将来性には乏しさを感じていました。そのため、仕事に心底打ち込むとまではいかず、休みになると趣味の音楽鑑賞、スキー、登山などに楽しみを見出す生活を送っていました。
父親が築いてきた地元での信用を落とさない義務感で仕事をしていたある日のこと、日本楽器製造(現ヤマハ)の勧誘による音楽教室加盟店募集の話が舞い込んできました。「好きな音楽が仕事になるのなら」。28歳にして仕事への大きな意欲を持ち、開業資金を用意して文具店の隣に音楽教室を開いたのでした。
しかし、既に母も亡くしていた島村の親代わりだった祖母には、「ここで音楽を習う人なんてそんなにいない。やめておきなさい」と猛反対され、それを押し切っての開業でした。祖母を見返すためにも、本気になって生徒募集を行いました。その頃は珍しかった駅前でのビラ配りも行い、当時は20人も集めれば大成功と言われる中で、3倍の生徒さんを集めることができたのです。その様子は日本経済新聞<1962年1月14日付>でも取り上げられました。当時の心境を、島村は以下のように述べています。
「社会に認められた気がして本当に嬉しかった。仕事は当事者意識をもって本気でやると楽しく、そして面白いものだと心から実感しました」。
多くの生徒さんを獲得して好スタートをきったかのように見えた音楽教室でしたが、努力して入会者を集める一方で退会者も出てしまいます。原因を探ってみると、多くの家庭が自宅にピアノも電子オルガンもないため、なかなか上達できずに諦めてしまう生徒さんが多いことがわかりました。保護者の方からも、「うちに楽器がないから子どもが練習できずに上手くならない。島村さん、楽器も販売してよ」と言われるようになり、生徒さんへの楽器販売を開始。音楽の楽しさを提供し、音楽を楽しむ人を一人でも多く創るためには、お客様のミュージックライフをサポートしていくことが大切であるという強い決意の下、1969年に文具店の事業から分離して、島村楽器株式会社は設立されたのです。
お客様の要望に応える姿勢を大切にしながら仕事に打ち込み、1976年には若者向けの軽音楽楽器(ギター、ベース、ドラムなど)専門店を東京・平井駅前にオープンしました。音楽教室はもちろんのこと録音スタジオや練習スタジオを併設し、著名アーティストによる楽器演奏クリニックやアマチュアバンドコンテストなども開催しました。ギターを始めたいお客様には演奏方法や機材の使い方を教え、バンド仲間を紹介し、オーディションのための録音を手伝ったりと、販売スタッフ一人ひとりがお客様に寄り添った接客を徹底すると、島村楽器は少しずつファンを増やしていきました。当時も今も日本最大の楽器街である御茶ノ水から電車で15分と離れていない平井駅前での開業に、業界からは立地面での不利さを指摘する声がありましたが、平井駅前店の成功は更なる成長のきっかけとなりました。
そして、1982年にはショッピングセンターのテナントとしてジャスコ葛西店(現イオン葛西店)に初出店。これを機に、全国の商業施設に音楽教室やスタジオを併設した総合楽器店を出店する現在の島村楽器の事業モデルがスタートします。
また、演奏の上達には人前で演奏を披露する目標が欠かせないと考え、「モノではなく音楽を楽しむコト」のライフスタイルを実現するためのイベントを数多く打ち出しました。ライブコンテスト『HOTLINE』、『音楽コンクール』、教室会員による有名ホールでの発表会型コンサート『YOUR STAGE』が代表例です。そのほか、お客様に選んでいただける当社独自の付加価値のある楽器を提供することにこだわり、楽器業界では珍しい自社ブランド商品開発を1990年代からはじめ、2000年代からは大手メーカーとのコラボレーション商品の開発も始めました。
国内最大手の楽器店を一代で築いた島村は、生前このようなことを述べています。
「かつての楽器業界ではメーカーが圧倒的に優位な立場にあり、メーカーの方を向いて仕事をする小売店が多かったように思います。しかし、私は文具店店主としての経験から、小売業が向くべきはお客様であるという信念を持ち、異端児と呼ばれながらもさまざまな挑戦を重ねました。1990年代以降、当社のこうした姿勢を評価してくださった大型ショッピングセンターから出店のオファーが相次ぎ、今日の日本全国に広がる店舗網を築くに至りました。
最初の音楽教室を開設してから半世紀の間、自分で決心して、お客様のためになると信じたことに本気で取り組んでいたからこそ、仕事は本当に面白かったです。そうした自分の経験があるからこそ、私は、好きなことや本気になれることを仕事にするということが一番大事である、と皆さんにお伝えしたい」。
創業者 島村 元紹