ジストニア発症からレフティへ決意の転身。細川大介 第2のギタリスト人生【後編】

7月18日、恵比寿リキッドルームにて結成20周年を祝う『狂想演奏史〜至上のハタチ〜』を行い、10月から全国9箇所を周る全国ツアー『絶好旅行』の開催、そして50曲収録のベスト盤『絶好』のリリースを発表したLACCO TOWER(ラッコタワー)。その『狂想演奏史〜至上のハタチ〜』で、ギタリストの細川大介が数年前より身体の筋肉が異常な運動を起こす“ジストニア”に悩まされていることを告白。25年間も続けてきた右利きから、レフティギタリストへ転身するという前代未聞の決意を発表した。想像を絶する苦悩と対峙し、バンド結成21年目にして第2のギタリスト人生を歩み始めた細川大介。インタビュー後編では、新たな相棒であるHISTORYのTH-SV/R/LH/3TSとの出会い、そして変化が生まれたという音楽的な価値観について話を聞いた。

前編はこちら

“やっぱり良いギターだったんだ”と確信に変わりました

――インタビュー前編でレフティギターについて触れました。購入した楽器について詳しく教えてくれますか?

細川:とりあえず楽器店に行って、カッコ良いルックスの中古のギターを6万円くらいで購入しました。しばらくはそのギターで練習していたのですが、少し弾けるようになると物足りなくなるんですよね。

――ギタリストの性ですね。

細川:そうですね。もっと良いギターが欲しいなと思ったときに、以前、僕がプロデュースしたギターを作ってくれた島村楽器の開発担当の吉沢さんに相談させていただきました。連絡をしてみたところ親身に話を聞いてくれて、ストラトタイプが欲しいとお伝えしたら“すぐに用意します”と5~6本用意してくれたんです。

――それぞれモデルは違うのですか?

細川:モデルは同じなのですが、木目などが微妙に違って、“この中から一番大介さんに合ったものを選んでください”と。もうビックリしちゃって。だって、まだ僕のレフティギターのプレイを見ていないし、バンド自体も決して昇り調子とは言えない状態だったのに、これだけ真摯に対応してくれたのがすごく嬉しかったんです。吉沢さんもビックリしていましたよ、僕があまりにも弾けないから(笑)。

どうして吉沢さんに連絡したかというと、以前一緒にお仕事をさせてもらったとき、ギターに対する愛情がすごく深い方だと思ったからです。こう言うと失礼かもしれないけれど、良い意味で“商売っ気”がない感じがしたんですよ。そういう方だったら僕の話をわかってくれるんじゃないかなと思って連絡をさせてもらいました。すごく恩義を感じていますし、何よりも僕のことを信じてくれたのがありがたかった。

――苦境に立たされたときは、自分にとって本当に大切な人がわかるタイミングでもありますよね。

細川:本当にそうなんです。僕から離れる人がいることを肌で感じていた時期だったので、何もできない僕に対してここまで尽くしてくれるのかと。帰り際に“大介さんならできます。私は信じているので”と言われたとき、この先も絶対に吉沢さんと付き合っていこうと思いました。

――今日、持ってきていただいたのがそのギターですね。HISTORYのTH-SV/R/LH/3TS。

細川:はい。本当は3シングルコイルピックアップだったのですが、“どうしてもハムバッカーがいいです”と伝えたら、“じゃあハムバッカーにしておきます”と改造もしてくれて。さらに、ペグもマグナムロックに交換してもらったり、僕が好きな仕様に換えていただきました。

――数本ある中からこの個体を選んだポイントは?

細川:笑い話になりますが、その当時は全くギターを弾けない状態だったので、音の良し悪しはわかりませんでした(笑)。どちらかと言うと、木目だったりボディの色だったり、ルックスで選んだ部分はあります。でも、下手くそなりにギターを鳴らしてみて“何か良さそうだな”という感覚はあったんです。ある程度弾けるようになってくると、ネックがすごく安定しているし音の密度も濃いので、“やっぱり良いギターだったんだ”と確信に変わりましたね。

――7月18日、恵比寿LIQUIDROOMにて行われたライブで、ジストニアとレフティギタリストとして活動を続けていくことを発表しました。ライブに向けてどのような準備を進めていきましたか?

細川:セットリストは僕が決めているので、ある程度のわがままは言わせてもらいました。初めてレフティを披露するとき、お客さんに聴いてほしい曲があって、それが「告白」という曲でした。そもそもこの曲は、僕がLACCO TOWERに入って初めてレコーディングした作品『続・短編傷説』に収録されている曲。僕自身の5年間の告白でもあるし、バンドが結成20周年を迎えて初めてみんなの前でレフティを披露するときに、メンバーと出会って初めて作り上げた曲を演奏するのが一番美しいんじゃないかなって。

あとは、それを弾けるか弾けないかだけの問題でした。メンバーにも言われたのですが、“弾けなくてもいいよ”って。最初から弾けるよりも、多少はミスしたって全然弾けなくたって、今の僕が挑戦することに意味があるんじゃないかと言ってくれました。だったら、弾けなくてもありのままの今の僕を見てもらって、数か月後に“大介さん上手くなっているな”とか“こんな短期間でギターって上手くなるんだ”とか“年齢が高くてもギターを始めてもいいんだ”とか、これからギターを始めようと思っている人の背中を押せたら本望だと思ったんです。

――とても意義のあることですよね。

細川:10年間くらいギター講師をやってきて、何百人と教えてきたのですが、そこには小学校1年生の子もいれば還暦を過ぎた方もいました。特に年配の方から言われるのは、“今からギターを始めるのは遅いんじゃないですか?”という言葉だったんです。僕は“いつから始めたって大丈夫だし、絶対に上手くなるし、プロにだってなれるよ”と何の根拠もなく伝えてきましたが、“ほら、嘘じゃないでしょ?”ってことを身をもって伝えるときが来たと思っています。

ギターも音楽も僕にとっては神様と悪魔みたいな存在

――お話を聞いていると、ジストニアを発症したことで様々な気付きがあったように思います。

細川:そうですね。今思うことは、もう無理にカッコ付けるのはやめようと。できないものはできないと割り切ることにしました。昔は完璧と言えるほど整っている音楽が好きで、超神経質だったのでギターのレコーディングでも納得がいかないときは、1つのフレーズを10時間かけて録ることもありました。“何か違うな”とか、それこそPC上で波形を見ながら弾いたりとか、良い音を届けるべきだと思っていたのですが、ジストニアになることで“音楽ってそういうことじゃないよな”と気付かされたというか。ミスをしたってそれがカッコ良いときもあるし、ちょっとした人間臭さが残っていないと面白くないと思うようになったんです。

――音楽的な価値観にも変化が生まれたんですね。

細川:めちゃくちゃ変わっちゃいましたね(笑)。

――でも、それは良い変化のように感じます。

細川:そうですね。5年間くらい音楽を聴けなかったし、家で音楽が流れているのも嫌だったのですが、今は中学生の頃と同じように“このバンド、カッコ良いな”って良い音楽を探すことができるようになりました。すると、それこそ以前は“ヘタで聴いていられない”と思っていた曲や、これまであまり聴いてこなかった昔の音楽、例えばザ・ビートルズやAC/DCなどのロックを聴くようになって。今は逆にそんな音楽が胸を打つんです。

――プロミュージシャンって、世間的には“カッコ良い”というイメージが強いと思うんです。でも、どん底まで落ちて這い上がる姿に、多くの人が勇気づけられると思います。

細川:そういう姿はずっと見せないようにしてきたんです。僕の中でミュージシャンって憧れの存在だし、ちょっと浮世離れしている方たちを見て育ってきたから。今回こうやって発表しようと思ったのも、友達にもそういう人が増えてきて相談されることも多かったので、これで僕が新しい道を切り開けたら“こういう道もあるよ”と提示することができるじゃないですか。もちろんそれは友達じゃなくても、悩んでいる人たちに対して新しい選択肢を示せたらいいなと考え方が変わりました。

――本当に第二のギタリスト人生の始まりというか。どちらが良いという問題ではないと思いますが、今の状況を楽しめているのが素晴らしいですね。

細川:もともとは両親から音楽の道に進むことを反対されていたのですが、その反対を押し切って選んだのがギターの道でした。ずっと好きなことをやらせてもらってきたけれど、ヘンな話、音楽をやめたって生きていけるんですよ。それでも続けてこられたのは心から音楽が好きだったからだし、わがままを突き通してきた人生だけれど、最近はもっとわがままでいいと思うようになりました。そうやってメンバーにも“僕の好きなように生きる”と伝えられるようになったのもジストニアのおかげだし、もっともっとわがままを言って、ダメだったらそこで話し合えばいいという考え方に変わりました。以前だったら言えなかったことも、“僕はこう思っている”と言えるようになったので、そういう意味でも今が一番メンバーと仲が良い。以前にも増して僕のことを信頼してくれているので、“言ってみるものだな”と。

――改めて、ギターやメンバーは今の大介さんにとってどんな存在ですか?

細川:今回思ったのですが、僕は音楽がすごく好きだけれど、それはギターという存在があって、そして演奏できることありきなんですよね。どうしてかと言うと、ギターを弾けなくなったときに音楽も聴きたくなくなってしまったから。だからギターも音楽も僕にとっては神様と悪魔みたいな存在で、ギターや音楽が奪われたら自分のこと、世界のことが大嫌いになって、またギターが弾けることになったときには、“僕の人生はもう1回ここからスタートできる、世界はなんて素敵なんだ”と思えるような両極端なものを持っている。

ギターが奪われときは正直、死にたいと思うこともありました。だけど今は、音楽に出会えて本当に良かったと思っています。だからこそもっといろいろな人にLACCO TOWERの音楽を聴いてもらいたいし、良さを伝えていきたいという想いがあります。メンバーに対しては、感謝しかないですよね。島村楽器さんもそうだけれど、僕のことを見捨てないでいてくれた人たちだから。そういう意味では、メンバーは恩人という表現が近いかもしれないですね。

――今まで当たり前だったものに対して感謝の気持ちを忘れないと。

細川:やっぱり感謝の気持ちって偉大だから。そういうときに助けてくれた人たちや、メーカーさんは一生僕の心の中に残るから。何か機材を買いに行くときも、“とりあえず島村楽器に行こう”という気持ちですよね(笑)。メンバー、家族、LACCO TOWERスタッフ、そして応援してくれている全ての方に対して、この気持ちを常に持ちながら生きていきたいと思います。

プロフィール

■LACCO TOWER
叙情的なリリック、パワフルなドラミング、空を切り裂く轟音ギター、縦横無尽にグルーヴするベース、幻想と狂奏が入り交じるピアノライン、どこか懐かしい印象のメロディがフロアを大きく揺り動かす。
叙情的な詩世界とは裏腹な激情その物のとんでもないライブパフォーマンスで全国各地で暴れ回る狂想演奏家。

2002年バンド結成。
2013年塩﨑が代表となり、メンバーで株式会社アイロックスを設立。
2014年より6年連続で自身主催ロックフェス「I ROCKS」を
地元・群馬音楽センターにて開催。
2015年6月に日本コロムビア/トライアドレーベルよりメジャーデビュー。
2016年と2017年には2度にわたりフジテレビ系TVアニメ「ドラゴンボール超」
のエンディング主題歌に抜擢。
2017年より5年連続で地元群馬のプロサッカーチーム、ザスパクサツ群馬の公式応援ソングを担当。
現在までにアルバムをインディーズにて4枚、メジャーにて最新作「青春」を含め6枚をリリース。
2022年バンド結成20周年を迎え、対バンツアー、20周年記念ワンマンツアーを経て、12月7日(水)にオールタイムベストアルバム(4枚組)「絶好(ぜっこう)」を発売。

■Official web site
 https://laccotower.com/
■Official Twitter
 https://twitter.com/LACCO_TOWER
■Official Youtube channel
 https://www.youtube.com/c/IRLT169
■Official funclub『猟虎塔』
 https://lacco-to.bitfan.id/
■Gt.細川大介 Instagram
 https://www.instagram.com/laccodaisuke/?hl=ja

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この記事を書いた人

溝口 元海

エディター、ライター、フォトグラファー。