60歳から始めた楽器は5つ以上!今もなおレッスンに通い続ける理由を聞いてみた~私と楽器屋さんVol.7~

フォークソング全盛の頃に、学生時代を過ごした久保 典文(くぼ のりふみ)さん。
ボランティア活動を経て、大学の理学部で学んだ知識を生かしコンピューター関連会社を起業。事業も軌道に乗り、駆け抜けるように仕事に打ち込んできたが、還暦を目前にふと人生を振り返る中で、“これまで歩んでこなかった道に挑戦したい”という想いがふつふつと湧いてきた。導かれるように島村楽器へと足を運んだ久保さんを待っていたのは、たくさんの出会いと素晴らしくも深淵なる音楽の世界だった。

レッスンを受けるのも楽しみだったけど、元気をもらうのも楽しみだった

久保さん 私の経歴を話しますと、元気にクラブ活動をやっていた時期と、死ぬほど勉強した時期と、ボランティアに没頭した時期があって。しかし、‟ボランティアだけでは子供を学校に行かせられない”とうちのカミさんが言うので、コンピュータ会社を始めたんです。散々仕事をして、大変な時期も当然あったけどそれなりに会社も軌道に乗ってね。ふと60歳になったときに、人生あと何年生きられるかわからないけれど、生きている間に今まで自分が歩んでこなかった道を歩みたいと思ったんです。

そう思い立った久保さんは、“スティックを持って叩けば音が出る”というシンプルな理由でドラムを始めることに。それが8年前の出来事だ。

久保さん 還暦の誕生日に“どこか楽器屋さんに行こうか”とちょうどこの通りを歩いていたら、島村楽器フレンテ南大沢店があったんですよね。“叩けば音が出るだろう”くらいにちょっとバカにしていたんだけど、お試しでやってみたら、リズムは難しいし叩き方で音色は変わるしで、どんどんハマり始めたわけです。
教室に通い始めると、今度は店内の通路でバイオリンを弾いている人の音色が聴こえて、その音色にズキュンと鳥肌が立ってね。で、店員さんがまた上手いこと言うの。“久保さん、両手両足だけじゃなくて今度は指も動かしてみませんか?”と。“そうしようか”とちょっと良いバイオリンを買ったんですけど、次の週に今度はピアノの先生が“久保さん、左指だけじゃなくて右指も動かしたら?”って(笑)。それでピアノを始めました。すると今度はサックスの先生が、肺も鍛えたほうがいいんじゃない?”って言うからサックスも。“サックスよりもフルートのほうが息を使いますよ”って言われれば、じゃあフルートも、と。私はどちらかと言うと、人生は自然体で、その時に出会ったものは受け入れるタイプなのね。それはこれから先も同じだと思います。

その好奇心というか柔軟性には思わず舌を巻くが、あまり触れてこなかった音楽の世界は新鮮そのもの。現在も仕事をしながら、ドラム、サックス、フルート、ピアノ、バイオリンのレッスンに通っている。

久保さん 月曜日にドラムとフルート、それから今までは水曜日にピアノとサックスを30分ずつ。発表会前になると倍にして1時間ずつとか。いつも私は花金ならぬ“花水(はなすい)”って言っていたんです。レッスンを受けるのも楽しみでしたけど、元気をもらうのも楽しみだった。今は仕事の関係でレッスンが金曜日に移ったので、名実ともに“花金”になりましたね(笑)。だから金曜日がとても楽しみだし、レッスンの時間になるとぴったり自分の仕事を切り上げてここに来ます。
サックスひとつ取っても、“どうやって組み立てるの?”とか“どうやって抱えるの?”とか、とにかくゼロからのスタート。でも、今思えばそれが良かったのかもしれないですね。新しい言葉や発見がどんどん出てきて。
それまで音楽は聴いていましたよ。だけど、ドラムをやり始めた直後は、それまで気にもしていなかったのにドラムの音が気になって耳に入ってくるんです。他の楽器も同じです。色々な曲を聴くと、“あの音ってどうやって出しているんだろう?”と疑問に思うことがいっぱい。だから、(インストラクターの)実優ちゃんに“あんな音こんな音出して”って無茶振りするんだけど、すぐに応えてくれる。彼女は名前の通り“実に優しい”んですよ。で、元気が良い。“この人にはストレスという言葉はないんじゃないか?”っていうくらい。会うたびに元気をもらうんです。

島村楽器が主催する発表会では、羽生田さんと『ニュー・シネマ・パラダイス』の曲をサックスでデュエットしたことも。

久保さん 実優ちゃんに初めて会ったのは、彼女が大学を卒業して新入社員として働き始めたばかりの頃だったけど、“何でこんなに曲のマインドを表現できるの?”と驚きましたね。私、話が好きだから『ニュー・シネマ・パラダイス』の能書きを散々彼女に話して、映画も見てもらって、“サックスでもすごくキレイな演奏があるから一緒に発表会に出ようよ”と。そもそも発表会に出ること自体、当時の私の演奏レベルでは無理があったと思いますよ。だけど練習では“咥え方が深すぎる”とか“指が間に合っていないから早めに”とか、僕の弱点を的確に助言してくれて。やっぱりプロですよね。

手に入れた楽器を、愛してくれる人に渡していかなきゃいけない

今回、お持ちいただいたサックスとも劇的な出会いが。

久保さん 2本目に買ったサックスが、このSelmerのRadio Improved。これは1934年の楽器なんです。島村楽器の川崎ルフロン店で行われた『管楽器フェスタ』に行ったとき、最初にこれが目に入っちゃったの。もともと買うつもりはなかったけど気に入っちゃって、その場ですぐに買ったのね。これはもう運命的な出会いだと思うんですけど、人生で運命的な出会いって、けっこう起こるもんなんですね(笑)。1934年と言うと、終戦が1945年なのでその11年前の楽器です。見た目も良かったし、当時の持ち主がサウンドホールを掴んで持ち上げたりしていたんでしょうか、そのあたりに片手で握ったような指の跡が残っていてとっても歴史と貴重性を感じたの。楽器にも感動したけど、収められていたこのケースにも感動しました。たくさんのシールが貼ってあって、たぶんミュージシャンの方がいろいろな土地を回ったと思うんです。戦地に行って、兵士に音楽を届けたのかもしれない。戦火をくぐり抜けて生き延びてきた楽器という点でも、私には何かズシンと来るものがあったんです。
これを実優ちゃんがその場で吹いてくれました。私はそもそも彼女の音色が大好きで、波長が合うと言いましょうか、聴いているととっても心地が良くなる。“これならOK”ということで、すぐにその場で買ってきたいわく付きのサックスです(笑)。奇跡的な出会いでしたね。
彼女との出会いもね、何て言うんでしょう。出会った人はだいたい好きなので、違う先生だったら違う先生なりにそれなりの道を歩いてきたと思う。でも偶然ではないですよね、こうやって出会うのは。

久保さんの大切な愛機であるSelmerのRadio Improved

音楽と向き合い、楽器を手にしたことで、思わぬ恩恵も感じられるようになった。

久保さん 楽器は、練習をするたびになだらかな坂を上るように上手くなるのだろうと想像していたんだけど、実はそうじゃないことを実感したんですよ。うまく行かなくてずっと平坦なんだけど、ひょんなきっかけで一段抜かしのように上達するのをどの楽器でも実感しました。よく“楽器はコツをつかむとラク”と言うけれど違う。そのコツをつかむのが大変なんだと。でも、それで駆け上がったときはとても快感がありますね。
うちの家族は“お父さん、けっこうボケ始めたよね”と言うんですけど、私に言わせると“楽器をやっていなかったら手が付けられないほどボケていたと思うよ”と(笑)。目で楽譜を見て、口で音を出して、耳で聴いて、周りにも合わせるという3つ以上の動作を同時に行うと、ボケが進まないだけではなく脳が活性化するという話を聞いて、つくづく音楽や楽器と出会って良かったなと思いますよね。

さまざまな楽器に恋し、手に入れて、楽器好きであることが周りに知れ渡ると、自然と知人や友人が所有する楽器が久保さんの手元に集まるように。

久保さん 仕事のお得意さんとかみんな、私が楽器好きだということを知っているもんですから、“実はうちにもう使っていない楽器がけっこうあるんだけど”って、珍しい楽器も含めて色々な楽器が集まってきて。アコーディオンも6台くらいあります(笑)。
昔は貧乏だったけれど、子供たちに海外のお芝居を見せるというボランティアをやっていたんです。お金はなかったけれど、チェコとかハンガリーとか色々な国に行ったときに、路上でアコーディオンを弾いているお爺さんがいて、“歳を取ったらいつかアコーディオンを弾きたい”と思っていたんです。自分で楽器が買える状態になって、まずは自分のアコーディオンを買いました。でも、その後に5台追加(笑)。“これ年代物だよね?”というようなものももらって、全部修理して使っています。この記事のタイトルは“私と楽器屋さん”ですが、私が楽器屋さんです(笑)。
だから、所有する楽器たちも引き継いでいきたいですよね。私、楽器屋さんで手に入れた楽器を、愛してくれる人に渡していかなきゃいけないと思っている。そういう想いが、どの楽器にも詰まっています。

一時期は、みんなが集まって発表会ができるような音楽部屋が欲しくて、3〜4年前に具体的な物件を探していた時期もあったという。しかし、島村楽器のことが脳裏によぎり考え直すことに。

久保さん よくよく考えたら、島村楽器に行く良さを忘れていたような気がするなと。そういう部屋を作ったら、そこにこもって練習をするじゃないですか。だけど、島村楽器に行くことの意味はもっと大きいような気がしたのね。学校で習ったのは、ヘ長調とかハ長調とかそんなことぐらいしか覚えていなくて、それこそ音楽のテストに出るようなことぐらいしか知識がないわけですよ。だけど、島村楽器に通うようになって、その人がどうやって作曲したのか、実際に曲を聴くと“なるほどね”って思う。音楽へのアプローチの仕方が、学生時代とは180度変わったと思いますね。それを教えてくれたのが、島村楽器の先生たちなんです。

70歳を目前にしても野心はついえない。久保さんの夢は広がるばかりだ。

久保さん 今は体力をつけたいなと思っています。ピアノも、上から鍵盤を叩いて強い音を出すっていうことをずっとやってきたんですけど、先生が“ピアノは下から上に叩くんだよ”って。柔らかい音、消え入るような音、それから強い音は叩くだけではキレイな音色は出ないよと。ということは、指の筋力をつけなきゃいけない。サックスで言えば、肺活量をつけるために水泳をやるとか、体力作りに少し時間を使おうかなと思っています。
最終的な目標は、例えばサックスで言うとジャズを1曲やりたいのと、「シーガル」を下手でもいいからやりたいなと。実優ちゃんとのコラボで発表会もやりましたから。あとで発表会のビデオを見ると、心配な目で見られながら、相槌をくれながら演奏してくれているのを見ると“出会って良かったな”とつくづく思うんです。

この記事を書いた人

溝口 元海

エディター、ライター、フォトグラファー。