「King of Rock’n’Roll(ロックンロールの王様)」と称されるエルヴィス・プレスリー。
そのレコード総売上枚数は推定30億枚、1日で売れたレコード枚数2000万枚、「世界で最も売れたソロアーティスト」としてギネス認定もされている、誰もが認める伝説のアーティストです。
出演したTV番組の最高視聴率が82%というのだから驚きですよね。そんなエルヴィス伝説がどのようにして生まれたのか、そしてエルヴィスが謎の死を遂げた原因は一体なんだったのか? それらを描いたのが、7月1日に公開となったばかりのバズ・ラーマン監督による映画『エルヴィス』です。
たとえエルヴィスのことを知らなかったとしても、この映画を観るのにエルヴィスについて調べていく必要も、事前に音楽を聴いてからいく必要もありません。なぜなら、この映画がすべてを見せてくれるから。きっと「この曲もエルヴィスだったんだ!」と思う連続でしょう。
ただもしかしたら、この映画で描かれているアメリカという国の歴史的背景を少し知った上で観ると、さらに面白くなるかもしれません。なので、この映画の魅力を語る前に、少しだけ音楽史から見たエルヴィスについて触れていきましょう。
音楽史上最大のターニングポイントを描いた『エルヴィス』
数々の驚異的な記録を残したエルヴィス・プレスリーですが、アメリカ音楽史で見る彼の最大の偉業は、「黒人の音楽」と「白人の音楽」という概念を、“エルヴィス”というオンリーワンのスタイルでぶっ壊したことに尽きます。
今でこそ当たり前に「J-POP」や「ロック」という音楽を耳にしますが、こうしたポピュラー音楽やロックのルーツが黒人音楽にあることを知らない人も多いのではないでしょうか?
そもそも「Rock’n’Roll(ロックンロール)」という音楽は、黒人コミュニティの中で生まれた「リズム&ブルース」という音楽のひとつでした。「ロックンロール」という言葉には性交というニュアンスがあり、この音楽をわかりやすく言えば、男女が身を寄せ合い踊り合ったダンスミュージックです。
この映画でも、幼少期のエルヴィスがゴスペルやロックンロールと出会う瞬間が描かれていますが、彼はこうした黒人文化、黒人音楽にどっぷり影響を受けて育ちます。
また、B.B.キングをはじめとする黒人アーティストとの親交が描かれますが、エルヴィスは黒人文化に溶け込み、吸収した様々な要素を、うわべの模倣ではなく、唯一無二なオリジナルスタイルとして歌って踊ったのです。
……と、ここまでの話だけでは、「へぇ、そうなのね」くらいにしか思いませんよね?
でもエルヴィスが登場した1950年代のアメリカがどんな時代だったのかを少し想像してみてください。
歴史の教科書で習った方も多いと思いますが、アメリカには、アフリカ人をアメリカに強制的に連れてきて使役した「奴隷制度」という黒歴史があり、リンカーン大統領による1862年の「奴隷解放宣言」以降も人種差別という姿にその形を変え、根深く残っていました。
当時は、住む地域も別、店のトイレも別、バスの座席ですら白人と黒人で分かれていたほどです。だからこそ黒人たちのコミュニティ内で、ゴスペルやブルースといった黒人特有の音楽文化が発展していった側面もありますが、アメリカ社会での黒人たちの権利は限られたもので、長らく差別的に制限されたものであったことは言うまでもありません。
そうした中で、彼らが自らの人権を主張した「アフリカ系アメリカ人公民権運動」が高まったのが、まさにエルヴィス登場とリンクする1950年代~60年代なのです。当然のごとく、この運動は白人中心のアメリカ社会の中で激しい抵抗にあいます。
映画でも描かれていますが、エルヴィスが初めてTV番組でロックンロールを披露し、大炎上したのが1956年1月。これは公民権運動のキッカケとなった1955年12月の事件、ローザ・パークス女史が、バスで白人に座席を譲らず逮捕された出来事のおよそ1、2ヶ月後の話です。
そんな社会情勢の真っ只中に、エルヴィスはTV番組で黒人音楽であったロックンロールを、そしてあの下半身を激しく揺さぶるダンスを披露したのです。そう考えるとエルヴィスの音楽が、当時のアメリカ社会の中でどれだけ異端で、どれだけ衝撃的だったのかはなんとなく想像できませんか? この時の衝撃は凄まじく、保守層にとっては「禁断の音楽」というレッテルを貼れますが、それに反するように若者たちの間でこの不良の音楽は爆発的なカリスマ性を持っていきます。
映画でもエルヴィスと黒人コミュニティとの接点はしばしば描かれており、重要なシーンでも「危険が迫ったときは、歌え!」という黒人牧師の言葉が回想されますが、この言葉こそまさに当時の抑圧された黒人コミュニティが持った反骨精神そのものであり、「禁断の音楽」と言われ抑圧されながらも己のスタイルを貫いた、エルヴィスのロック精神と重なって描かれています。
この映画は、そんな1950年代、60年代というアメリカ激動の時代をエルヴィスの視点から描き、音楽史上最大のターニングポイントを、スクリーンを通してまるでリアルタイムな出来事のように体感できるところに最大の魅力があると言えるでしょう。
音楽はただの背景じゃない
この映画のもう一つの魅力は、『ロミオ+ジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』を手がけたバズ・ラーマン監督の映画手腕にあります。
「音楽、脚本、視覚的な要素をすべてひとつとして考えている。音楽はただの背景じゃないんだ」
と語っているラーマン監督ですが、本作でも物語の重要な場面で、エルヴィスの心情とリンクした曲を用い、エルヴィスが歌う歌詞そのものがシーンを演出しています。「Hound Dog」や「Trouble」といった名曲のフレーズが物語にリンクする鍵となっているので、観客はより物語に引き込まれていき、ノンフィクション映画のような退屈さが一切ありません。
ラーマン監督の凄さは、実在の人物の半生を忠実に描きながらも、フィクションを随所に織り交ぜ、エルヴィスを演じる主演のオースティン・バトラーが、まるでエルヴィスそのものであるかのように観客に錯覚させてしまう点にあります。
たとえば、TVショーの本番シーンでは実際使われていた当時のカメラワークを再現したり、時代ごとのファッションやカラービジュアルを再現し、視覚的な真実味を持たせています。
その一方で、1950年代のライブシーンはすべてバトラー本人の歌声を使い、時代が進むにつれバトラーとエルヴィスの歌声を融合させながら、物語の最後ではエルヴィス本人の歌声を使うといった技法も駆使したと言います。
また、ラーマン監督はバトラーに「エルヴィスが通った道」を経験させることにこだわり、オーディションのときには、バトラーが事前に準備していた曲とは異なる曲を歌わせたと言います。撮影開始前にはエルヴィスが契約していたRCAレコードを訪れ、エルヴィスが実際にレコーディングを行なったスタジオAでバトラーに「Blue Suede Shoes」を歌わせたり、300人のエキストラを前にバトラーが歌うシーンから撮影を始めたというエピソードも話してくれています。
エルヴィスが通った「緊張と成功」をバトラーに身を持って体験させることで、エルヴィスが感じたものや、観た景色を体感させたのでしょう。事実、バトラーの存在感が、この映画のフィクションとノンフィクションの境界線をより曖昧にしており、映画を観終わるころにはバトラーとエルヴィスの区別はつかなくなってしまうのです。
エルヴィスの軌跡を辿るバトラー
こうしたラーマン監督の手腕があってか、スクリーンの中のバトラーは「演技」という言葉を使うのがはばかれるほど、魂の込もったエルヴィスを魅せます。
そんなバトラーに対し、ラーマン監督は、
「ライブシーンは、カット割りなどをせずに、オースティンが実際に歌っているのを通しでずっと撮ったんだ。僕は30年以上同じクルーと一緒に仕事をしてるんだけど、そのうちのひとりが手を止めて僕に言ってきたよ。『一体何が起こってるんだ!?スターウォーズもマトリックスの仕事もやって来たけど、こんな体験は初めてだよ!』ってね。だから僕は何の演出もしていなくて、すべて彼に任せたんだ。僕はただただカメラを回せって言えば良かったんだよ(笑)」
と語っています。
当のバトラーはエルヴィスを演じるにあたり、エルヴィスの喋り方、歌い方、立ち振る舞いに至るまでの癖を2年かけて学んだといいます。そんなバトラーのエルヴィスは、同性の目から見てもとんでもなく色っぽく、自然と引き込まれてしまう魅力を持っています。これは映画の中だけの話ではなく、6月28日に行なわれた「『エルヴィス』ワールドツアーフィナーレイベント」で初来日したバトラー本人に会った筆者も感じた印象でした。
バトラーの声に耳を傾けようとするため生まれる一瞬の静寂。放たれる声はその甘いマスクとは裏腹に、低音で艶があり、大人の色香を持っている。そして、ゆったりとした間をあけながら、ひと言ひと言丁寧にバトラーは語ります。
「僕は今回が初めての来日です。エルヴィスにとって日本に来ることは夢でした。それが叶わなかったのは彼にとって一番の悲劇のひとつだけど、こうして僕が彼の夢を叶えることができました。そして彼の素晴らしい物語を、今こうして日本のみなさんと分かち合えることを何より光栄に思います」。
エルヴィスを演じる上で「何が彼を駆り立てたのか。彼の魂を見つけることを何より大切にした」と語るバトラーが纏う空気感はカリスマ性を帯び、まさにエルヴィスが憑依しているかのようでした。
今だから刺さる、エルヴィスのスタイル
ラーマン監督は、
「エルヴィスを知らない若い世代の人たちにこそ、この映画を観てもらいたい」
と語っています。
筆者もエルヴィスの存在は彼が残した音源を通して知っているのであって、リアルタイム世代ではありません。でも映画を観終わって、気付けばエルヴィスの音源をひっばり出して聴いていました。
この映画が、エルヴィスを私たちに近い存在として描いていたからこそ、エルヴィスの曲を改めて聴いたときに、今まで気づかなかった新しい発見がありました。これこそ、ラーマン監督が意図した真の狙いだったのかもしれません。
エルヴィスの生き方や彼の音楽が教えてくれるのは、誰も見たことがない新しいものに挑戦する勇気と、周りに流されない姿勢であり、それは個人がよりチャンスを掴めるようになった現代においてもきっと通ずるものでしょう。だからこそ、エルヴィスが人生を通して得た成功と失敗の両面は、エルヴィスを知らない世代にこそ刺さるものだと思います。
アメリカ音楽史における20世紀最大のターニングポイントを切り取り現代に再現した、究極のミュージック・エンターテイメント映画『エルヴィス』。ここから先は、ぜひ劇場のスクリーンで実際にその目で観て、聴いて、感じ取ってください♪
ファッションは買えても、スタイルは買えない
先に行なわれた「『エルヴィス』ワールドツアーフィナーレイベント」では、幸運にもHappy Jam編集部として、バズ・ラーマン監督に独自インタビューをすることができました! 最後に、監督の口から直接伺ったメッセージを翻訳してお伝えします!
──この映画を観て、「音楽を始めたい!」「新しいことに挑戦したい!」と思った人も多いと思います。そんな方たちに向けて、メッセージをお願いします。
ラーマン それはとても大切な考えだと思うよ!この映画は単に過去を振り返ったものじゃないんだ。僕らがエルヴィスを通して見てきたものは、彼は“自分だけのスタイル”を持っていたってことなんだ。彼は様々な音楽から影響を受けたけれど、彼にしかないスタイルを生み出した本当のオリジナルなんだ。彼は若い人たちに対しても「自分だけのスタイルを探し、常にオリジナルであれ」と考えていたと思う。ファッションはお金を出せば買えるけど、スタイルは買うことができないだろう? だから「自分と向き合って、自分に忠実であれ」と言いたい。でも成功してからも、気をつけなきゃね。
映画「エルヴィス」(配給:ワーナー・ブラザース映画)
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